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「注文の多い料理店」で、犬も服も戻ったのに、二人の顔だけが戻らないのはなぜか

「注文の多い料理店」を通して読み直すと、結末で引っかかるところがある。死んだ犬は戻ってくるし、脱いだ上着や財布も見つかる。一方、最後の一文で元に戻らないと書かれるのは二人の顔だけだ。

この記事で確かめたのは、助かった二人の紳士は、なぜ「顔だけ」戻らないまま物語が終わるのかという一点だ。答えは本文に書かれていない。通読すると、顔という語が作品の中で何度も出てくることにも気づく。読みは一つに決められないが、いくつかの方向は考えられる。

本文は青空文庫の新字新仮名版(新潮文庫底本)と旧字旧仮名版で通読した。ここで触れる箇所は、どちらの版でも同じ内容だった。

戻ったものと、戻らなかったもの

冒頭で、山奥に入った二人の連れの犬が、めまいを起こして泡を吐き、死んでしまう。二人はその犬を「二千四百円の損害」「二千八百円の損害」と数える。ところが結末では、犬が二疋とも扉を破って飛び込み、鍵穴からのぞいていた眼玉が消える。そのあと犬は「ふうとうなって戻ってきました」。死んだ犬がなぜ戻ったのかは書かれていない。

料理店が煙のように消えたあと、上着や靴、財布、ネクタイピンは、枝にぶらさがったり根もとにちらばったりしている。二人は寒さに震えながらも、そこに立っている。猟師が団子を持って迎えに来て、二人は「やっと安心」する。損害と数えた犬が戻り、店で外した持ち物のうち上着・靴・財布・ネクタイピンの行方も分かる。帽子、鉄砲、眼鏡、カフスボタンがどうなったかは、本文に書かれていない。

その上で、最後の一文が来る。

しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。

「しかし」で始まるこの文は、犬や持ち物が見つかった流れのあとに置かれている。そこで戻らないと書かれるのは、服でも金でもなく顔だ。

顔は、いつ紙くずになったのか

顔が「くしゃくしゃの紙屑のように」なる場面は、本文の後半にある。「あんまり心を痛めたために」と理由まで書かれていて、二人は泣きながらお互いの顔を見合わせている。最後の文の「さっき一ぺん」は、この場面を指すと読める。

顔は、この作品の中で何度も出てくる。犬が死んだ直後、片方の紳士は「すこし顔いろを悪く」して相手の「顔つき」を見る。二枚目の扉の裏の文句を読んだ紳士は「顔をしかめ」る。店の中では、クリームを「顔や手足」に塗るよう言われ、二人は「顔に塗って手に塗って」から足にも塗る。残ったクリームは「顔へ塗るふりをしながら」こっそり食べる。塩の注文で気づいたときは、クリームを塗った顔を見合わせる。紙屑の場面でも「お互にその顔を見合せ」る。ここに挙げたのは主な箇所だ。

この一覧から言えるのは、顔の語が作品の中に何度も出てくる、というところまでだ。出てくる回数が多いことだけでは、作者が顔を意図して繰り返したとは言えない。

ここから、読みがいくつか考えられる。

一つは、顔を、怖い思いをした二人の側に残ったものとして読む読み方だ。上着や財布は、二人が脱いだり預けたりしたもので、枝や根もとから拾えば戻る。顔は、拾い上げて着け直せるものではない。

もう一つは、金額の側から読む方法だ。冒頭の二人は、犬の死を円で言い合う。帰りに山鳥を買う話になると、「兎もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった」と言う。結末でも、二人は十円だけ山鳥を買って東京に帰る。お金で数えたり買ったりして済ませる二人と、買って戻せない顔。この対比が最後の一文に出ている、と筆者は読んだ。本文では、犬の損害と山鳥の代金は結びつけられていない。

深い意味を置かなかった、という読みも残る

もっと素朴に、めでたしめでたしで終わらせず、ぞっとする余韻を残しただけ、という読みも成り立つと思う。最後の文の後に、顔について誰かが何かを言う場面はない。猟師も、東京の人々も出てこない。顔がどれほど変わったのかも、本文からは分からない。

作者が何を思ってこの文を置いたかは、本文からは分からない。作者本人が書いた同じ本の『広告文』と『新刊案内』には、この作品を「都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感」の話と紹介する一文がある。これは作品全体についての言葉で、最後の一文の意味を説明したものではない。だから、顔が戻らないことの理由は、読む側がそれぞれ決めることになる。

私は、犬や上着が戻ったあとに顔だけ残ることで、二人が「何もなかった」ことにできなくなる点に、いちばん引っかかった。金額で数えられる損害の隣に、数えられないものが置かれている。そう読むと、冒頭の「二千四百円の損害」が、少し違って見えてくる。

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