「やまなし」の「クラムボンは殺されたよ」は、青いものが現れて魚が見えなくなる場面より前にある
「やまなし」の五月の章で、蟹の子どもが「クラムボンは殺されたよ」と言う。この言葉は、青いものが現れて魚が見えなくなる場面より前にある。本文を段落ごとに数えると、発話は段落15〜18、青いものが現れる場面は段落34〜35で、間に15段落(19〜33)がはさまる。魚が最初に画面を通るのは発話の直前(段落14)で、青いものが現れるのは発話のずっと後だ。
なお、本文(段落35)は魚が捕られたとは書いていない。書かれているのは、青いものが飛び込み、魚が「上の方へのぼったようでしたが」見えなくなったことまでだ。青いものが鳥の「かわせみ」だというのは父の蟹の言葉(段落44)で、この記事ではそれをもとに、この場面を魚が捕られた場面と読んでいる。事実と読みは分けて書く。
この記事で確かめたのは、蟹の子どもが「殺された」と言う瞬間と、青いものが現れて魚が見えなくなる場面は、本文のどちらが先かという一点だ。答えは「言葉が先」。さらに、魚が見えなくなる場面にも、そのあとの会話にも、十二月の章にも、「死」「殺」の語は出てこない。「殺された」という言葉は、蟹が実際に目にする出来事より先に、別の対象(クラムボン)について出ている。このため、五月の会話は「出来事を見て出た言葉」ではなく「出来事より先に出た言葉」として読み直せる、と筆者は考える。これは本文の並びに基づく読みで、作者の意図は本文からは分からない。
五月の章の並び
青空文庫の新字新仮名版(底本: 新潮文庫、1989年)の本文を、改行で区切って数えた。冒頭の「小さな谷川の底を写した…」を段落1とする。五月の章は段落2〜51、十二月の章は52以降。主な出来事と発話は次のとおり。
| 段落 | 本文に書かれていること |
|---|---|
| 4〜11 | 蟹の子どもが「クラムボンはわらったよ」などと繰り返す。「それならなぜクラムボンはわらったの」に、「知らない」(12) |
| 14 | 銀色の腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行く |
| 15〜18 | 「クラムボンは死んだよ」「殺されたよ」「死んでしまったよ………」「殺されたよ」 |
| 19〜20 | 兄さんの蟹が「それならなぜ殺された」。答えは「わからない」 |
| 21 | 魚がまたツウと戻って下流へ行く |
| 22〜23 | 「クラムボンはわらったよ」「わらった」(クラムボンの語が最後に出る) |
| 26〜31 | 魚がまた上流へ行く。「何か悪いことをしてるんだよとってるんだよ」「とってるの」「うん」 |
| 32 | 魚がまた上流から戻って来る |
| 34〜35 | 青びかりの「鉄砲弾のようなもの」が飛び込む。黒く尖った先を兄さんの蟹が見る。魚の白い腹が光って一ぺんひるがえり、青いものも魚の形も見えなくなる |
| 39〜46 | 父の蟹に説明する。「そいつの眼が赤かったかい」に「わからない」。父は「鳥だよ。かわせみと云うんだ」と言い、お魚はどこへ行ったのかには「魚はこわい所へ行った」 |
| 47〜51 | 「こわいよ、お父さん」。樺の花びらが流れて来る |
「クラムボン」の語は五月の章の11段落(4〜7・9〜11・15〜17・22)にあり、段落22が最後になる。「死」は段落15と17、「殺」は16・18・19にだけある。青いものが現れる場面(34〜35)以降は、どちらの語も使われていない。十二月の章(52以降)にも、クラムボン・死・殺は出てこない。
発話に話者は書かれておらず、地の文でわかるのは段落19の兄さんの蟹の発言と、段落28の弟の問い、段落50の弟の蟹の「こわいよ」だけだ。「死んだ」「殺された」を誰が言ったかは、本文からは決められない。
発話と出来事の間にあるもの
発話の直前には、魚が通る場面がある(段落14)。これを見て「殺された」が出た、という読み方はできる。ただし、本文は魚とクラムボンの関係を何も書いていない。その後に魚が往復する(21・26・32)ことと、蟹の側から「とってるんだよ」(29)と言われることは、書かれている。
青いものが現れる場面は、本文の表現が静かだ。魚が捕られたとは書かれていない。魚の白い腹が「一ぺんひるがえり、上の方へのぼったようでしたが」とあり、魚が食べられた、死んだ、という言葉は使われていない。段落14で魚が「銀のいろの腹をひるがえして」過ぎる描写と、段落35の「魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり」は、腹をひるがえす点が重なっている。父の蟹の答えも「魚はこわい所へ行った」で、死とも殺されたとも言っていない。
並べると、次のように読める。
- 「殺された」は、蟹の子どもが出来事を見る前に言った言葉で、その出来事(青いものが来て魚が見えなくなる。魚が捕られた場面という読みは、父の蟹の言葉による)は後から来る。言葉が先で、出来事が後から追いつく順になっている。
- 出来事が来たとき、蟹の子どもが使う言葉は「おかしなものが来た」「こわいよ」で、先に使った「殺された」ではない。
- 先に出た言葉は、クラムボンという正体の分からないものに向けられている。「なぜ殺された」には「わからない」としか返らない。
この3点は、どれも段落の位置と語の有無という本文の事実を並べて言えることで、「だからこの順にした」という作者の意図までは言えない。逆に、「殺された」が魚の通過の直後に出たことを重く見れば、「出来事の前」ではなく「見たものから連想した言葉」と読むこともできる。この点は決め手になる材料が本文に無く、どちらの読みも残る。
十二月の章と並べる
五月の章の父の蟹は「大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまわないんだから」(段落44)と言う。十二月の章では、水に黒い大きなものが落ちて来て、子どもは「かわせみだ」と言う(段落72)。父は「そうじゃない、あれはやまなしだ」(段落74)と言う。
十二月には、五月に出た言葉が三つ変わっている。
- 「かわせみ」は、五月は父だけが口にした名前で、十二月は子どもが自分で言う。
- 「こわい」は五月に3段落(46・47・50)出るが、十二月には出ない。
- 「わからない」(20・43)と「知らない」(12)は五月にだけあり、十二月には出ない。
つまり、五月に「わからない」と答えた子どもは、十二月には落ちてきたものに自分の言葉を当てている。当てた言葉は外れ(かわせみではなくやまなし)で、父が直す。五月の「殺された」が先に言葉だけで出た章と、十二月の「かわせみだ」を父が直す章を並べると、言葉が先に来て、出来事が後から意味を持つ形は、2つの章で繰り返されている、とも読める。ただしこれは2つの場面を並べた読みで、作品全体に当てはまると言い切る根拠は、この記事では確かめていない。
別の版でも同じ順か
比較のため、青空文庫のもう一つの版(card472。新字旧仮名、底本: 宮沢賢治全集8、ちくま文庫、1986年)を同じ方法で数えた。段落の数も上の表の段落番号も、同じだった。「死」「殺」の位置、クラムボンの語の位置、「かわせみ」の位置(44と72)も同じだった。
本文の文字に差もあった。仮名遣いの違いのほかに、次の箇所が異なる。
- 段落6: 新潮文庫版は「跳ねて」、ちくま版は「跳て」
- 段落56: 新潮文庫版は「天上の方」、ちくま版は「天井の方」
- 段落77: 新潮文庫版は「やまなしの円い影」、ちくま版は「山なしの円い影」
- 段落84(末尾の区切り): 新潮文庫版は「*」、ちくま版は「□」
どれも出来事の順番や、死・殺の語には関係しない。どの差が底本の違いで、どれが入力の違いかは、この記事では確かめていない。青空文庫の2版を比べただけで、1923年の初出紙(岩手毎日新聞)や生前の発表形は見ていない。
確かめていないこと
- 初出紙・全集の底本など、青空文庫以外の本文は見ていない。
- 「クラムボン」が何を指すかは本文に書かれておらず、この記事でも決めていない。
- 蟹の子どもが「殺された」の言葉を誰から聞いたかは、本文にない。
付録: 方法
- 資料は青空文庫の2つの本文(card46605・card472)。取得日は 2026-10-01。HTML をそのまま保存し、ルビとタグを除いて、改行ごとに段落として数えた(空行は数えない)。語の位置は、段落内にその文字列があるかどうかで数えた。
- 数えた結果は集計スクリプト(
scripts/yamanashi_order.py)の出力。段落番号はこの記事のための数え方で、青空文庫の行番号とは一致しない。 - 引用は、語句・短い発話に限った。
出典
- 宮沢賢治「やまなし」(青空文庫、新字新仮名。底本: 新潮文庫『新編風の又三郎』、新潮社、1989年2月25日発行。初出: 岩手毎日新聞、1923年4月8日)。https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card46605.html 、本文 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/46605_31178.html (取得日: 2026-10-01)
- 同(青空文庫、新字旧仮名。底本: 宮沢賢治全集8、ちくま文庫、筑摩書房、1986年1月28日初版)。https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card472.html 、本文 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/472_42317.html (取得日: 2026-10-01)